第十二節「墨赤(せきずみ)の魔皇泰子 VS 紅黒(くろあか)き断頭台」

時の上ではもう夜中 しかし天空には昼間となんらかわることのない暗雲が立ちこめているだけだ
昼と夜などすでに言葉だけでしか 意味をなさないものとなっている

こんな状態にようやくなれ始めたとはいえ さすがに変化のない一日は かなりの精氣的負担となって蓄積されていた
それゆえにゆとりを失った人々の心が病みすさんでいたとしても いったい誰がそれを咎められるであろうか

大陸全体が活力を失いつつあるようだ
ある賢者は今の世界をこのように表現した それはまさに的を得た言葉であると言えた
実際こんな状態があと数年続こうものなら 確実に世界は内部から崩壊するであろう

ともあれ人々は少しでも氣を紛らわそうと あらゆるところにはけ口を求めていた
そして人間とはどこにいても同じ行動をとるものだ たとえそれが大陸で一番統制のとれた宗教国家であっても

ブレイハルト神聖国の首都ビクトラウト
やや小高い丘の上にそびえる 王城の巨大な正門を警護する二人の兵士たちは空は変わらずとも
時が来れば自分たちの仕事に忠実に従っていた

「こんなことが いつまで続くんだろうな」
まだ若いこの仕事について間もない青年が ふと空を見上げ息混じりの言葉を呟く
「本当に太陽の光が懐かしいわい」
門を挟み反対で警護をしている 三十代の髭を生やした男がつられて空を見上げる
暇な仕事であるだけに一度氣が緩むと どうしても引き締めることが難しい 氣を紛らわそうといろいろと話を始める
現在の大陸の情勢動きの活発な怪物たち 法王猊下の病氣の具合い等…
そしてよほど話に熱中していたのか 二人とも門に近寄ってくる人物がいたことに氣付かなかった

「門を開けていただけませんか?」
若い女性の澄んだ声で ようやく二人はその人物に氣付き 二人同時に声のした方角を向く
それぞれの両脇に設置された かがり火の灯りはすでに薪が少なくなり かなり弱々しくなっていた
そのため女性の顔ははっきりと見えないが シルエットで浮かぶ長い耳からするとどうやら妖兔であるらしい

「もう城は閉門したあとだ 何か用があるのなら また明日にしてくれ」
青年の方がけんもほろろに言う
普段なら礼節を重んじるブレイハルト神聖国に仕える身であるから こんな対応など絶対にありえないのだが
まだ若いこともあいまって氣の鍛錬の未熟な若者は うっ積した氣持ちに耐えきれずについそう言ってしまった

「そういうことだ 今城ではいろいろとごたごたがあって大変なのだ また今度来てくれぬか」
男のほうは青年ほど心を乱してなく なるべく女性に対する礼儀を失せぬよう応じる
「私のことを知らないのですか?」
意外そうな声が返ってくる
「何?」

『おい なぜこんな見張り兵士ごときと問答をする必要がある? 急ぐのだろう さっさと中に入らぬか』
暗闇でわからないが 奥に何かいるのだろうか 兵士たちの耳に もぞもぞ となにやら音がした
「そうですね」
女性がその声に短く答えると 今度は変わって呪文を唱える
二人ともそれが古妖精語であることに氣付いた青年が 弾かれたように手にした長槍を構える

「待て」
それを男が止める男は
その魔法が害のない 明り であることを知っていたのだ
やがて女性が持っていた杖の先が青白く光を発すると 破魔法の明りが女性の姿を闇の中に浮かび上がらせた
「これならどうですか?」
「あ 貴方様は…!」
その姿を見て男の方が驚愕の表情を見せる

「失礼いたしました どうぞこちらへ」
男は恐縮しながら慌てて正門の横についている小さな扉を開けば 女性は軽く男に笑みを向けてから扉をくぐった
風に踊る長い青い髪の最後の一筋までが 完全にその向こうへと消えるまで 男は表情をかたくして見守っていた

かなりの沈黙の後 大きく吐き出した 自らの息と同時にふっとその表情が緩んだ
「誰ですか今のは? 知っているヤツですか?」
訳がわからないまま その成行きを見ていた青年は男に説明を求めた
「そうか お主 あの頃はまだ居なかったから
知らないのか あの方は…」


「そうか…」
それだけ呟くとカルクレアーは黙り込んだ
ビクトラウト王城第六階謁見の間 『空間転移』で帰還したサディたちはすぐさまそこへ通されていた

幸か不幸か スザンナ王妃は 奥の部屋で病にふせっている国王陛下のところにいっており 玉座にはいなかった
サディたちはソハナでの惨状やセヴィリオスのことを枢機卿カルクレアーに細やかに報告しその判断をあおぐため片膝をつく格好で控えていた

空席となっている玉座の右横には 簡単な礼装のカルクレアー枢機卿
左隣には紺色の外套を纏ったハッソネール
報告を受けた後も二人ともそれほど取り乱した様子は見せないが 壁に沿って並んでいた騎士達の間には動揺ともとれるささやきが広がっていた

「スザンナ王妃が この場にいらっしゃらないのは好運でしたな このような話とても 王妃には耐えられますまい」
ハッソネールの言葉に カルクレアーは小さくうなずいた
「まったくだ アウトサイドには 未だ妖氣が凝縮したままだが そのことと このソハナの強襲 なにか関係があるのかもしれんな どのみちこの程度ではすむまい…」
天井に厳しい眼差しを向けて一人呟いた後 わずかに表情をといて 目の前で控えているサディ達を見る

「よく報告してくれたな これからどうするにせよ とりあえずは疲れた体を休めるのがよかろう 五階におまえたちの為に それぞれの部屋を用意してあるからそこを使え」
「承知しました」
サディが短く応じる
カルクレアーがパキンと指を鳴らすと 扉の横に立っていた十二 三歳ぐらいの少年が寄ってきた
質素な短衣を着ていることから察するに 騎士見習いとして奉公をしてるのだろう
まだあどけない表情を残しているが その瞳はすでに騎士という 自分の目標を目指す希望に輝いていた

「私がみなさんのお部屋へ案内いたします どうぞついて来てください」
アルジオス ランド=ローに続いて
ウォーラも立ち上がり 最後にサディが膝をあげると
「では 失礼します」
意外な科白がサディの口をついて出た さらに彼女には珍しくカルクレアーに礼をしてから 少年の後をついて謁見の間を退出した
さすがにカルクレアーも今までとは違うサディの言動に面食らったのか しばらく呆然とその姿を追っていた

「どうしたのだ? あいつは今まであんな礼を尽くしたことはなかったぞ…」
「さあ…?」
ハッソネールもサディの不可解な行動は理解できなかった
天真爛漫なサディの行動とは思えないこの出来事も しかし 次の瞬間には二人の頭から消え去っていた
「貴公 先ほどの話をどう思う?」
サディ達が出て行った後
カルクレアーはハッソネールに問いかけるべく視線を向けた
その質問が意味するところのものを ハッソネールは敏感に汲み取っていた

「大きさ 形と報告から推測する限り はおそらく 自然界の還元 かと」
「やはり 不死身の鳳 …それはセヴィリオスが聖天泰君ナゴスギールの使徒 魔剣聖 である証…」
カルクレアーの顔に複雑な表情が浮かぶ
その時 奥の部屋へと通じる扉が開き 一人の女性が姿を見せた 
法王の病療の間 その国務の代行を行っている王妃スザンナ=イルハイム公=ブレイハルトである

「ハッソネール 被害の詳細についての報告は 後日を選んでもよかろう」
「承知」
小声で会話を交わすと 二人ともスザンナに対して深く礼をする
「何やら声が聞こえましたが どうかしたのですか?」
スザンナはゆっくりとした歩調で歩いてくると 玉座へと座る
「は 実はサディ達が報告に戻っておりまして…」


少年に案内されサディ達は ビクトラウト城の大きな廊下を進んでいた
様々な部屋と同様廊下も かなり洗練されたデザインの設計がなされているようだ
きちんと隙間なく床石が敷き詰められ 廊下の中央には朱の絨毯がどこまでも敷かれている
その朱色の絨毯も決してけばけばしい色合いではなく 落ちついた色調の押さえた朱色だ

壁際にはいくつかの芸術品が 統一性をもって配置され空間を広く見せている 無論 天井を支える柱にもその注意は払われていた
妖狸の細工師によるものか 繊細な装飾の施された各支柱はすべてデザインが異なっている さまざまな精霊をモチーフにしたものが多いらしく 精霊を駆る者としてサディやウォーラにはなかなか興味を引かれるものだった
壁の左手は城の外壁に面しているのか 明り取りの為に大きく開かれていた
もっとも 夜の続く今ではそれも何の意味も持たないが

「それにしても…」
きょろきょろと辺りを物珍しそうに見ながら ウォーラが口を開いた
「一体どうしたんですか師匠? 妙に礼儀正しかったですね 今まで あんなことはほとんどなかったのに」
「それがねぇ…」
少しばかり言葉を考えてからサディは再び口を開いた
「何て言うか変な氣配がするのよ そう…見られているって言うのかな ちょうどこのブレイハルトに戻ってきた頃から…いえソハナでセヴィリオスが消えたあたりからだわ それがどうも不思議なのよ その氣配を感じると礼儀正しくしなければいけないって切実に感じるの」
「はぁ…」
「まるで…そうたとえるなら シリア様に見つめられてるって感じかな」
横に並ぶウォーラを見ながら サディは冗談半分でそう口にするが
その時ウォーラの頬を一筋の冷汗が 流れ落ちるのには氣付いていなかった

「何にせよ 奥様が礼儀をわきまえてくれるのなら助かるのですが」
サディとウォーラの話を聞きながら 二人の前を歩いているランド=ローが彼には珍しく そして 妙に実感のこもった そんな言葉をアルジオスに向かって小声で漏らした
「さぁていつまで持つかな…?」
アルジオスは苦笑をかみ殺しながら ランド=ローと顔を見合わせた

「着きました ここです」
階段を下り五階の回廊を幾つか曲がった後で 少年が立ち止まった その手が示す方には 七つほど扉が並んでいる
「右から四つがそうです どうぞゆっくり休んでください」
少年は礼を失せぬようきちんと頭を下げてから 再び謁見の間へ戻るため去って行った

「俺は早速 休ませてもらう」
滅多に疲れた表情など人に見せないアルジオスだが 今 その顔には疲色が浮かんでいる
いくら戦いに生きてきた傭兵とはいえ さすがに度重なる出来事で 抜けきれない疲労がかなりたまっていたのだろう
戦いから離れ 緊張の緩む時を向かえた今 それが現れたとしても不思議はなかった

アルジオスは短く言うと扉のノブに手をかけた
「奥様 私も彼と同様に休息をしたいのですかよろしいでしょうか?」
上からサディの護衛という任務を受けている以上 勝手な行動は慎まなければならない
影のように従いサディを危険から守る義務がランド=ローにはあった
もっともこんな場合は仕方がないので ランド=ローはサディの側を離れる許可を求めた

「ええ いいわ」
「では失礼…」
ランド=ローが別の扉を開けて 部屋の中へと入っていった
「さぁてと とりあえず私はシャワーでも浴びてさっぱりしようかしら」
呟きながら扉を開け ふと氣付いたようにウォーラの方を振り向く
「貴方はどうするの?」
部屋にも入らず まだ廊下で周囲に目をやっていたウォーラは サディの視線に少し考えてから口を開いた

「あの…私こんな城の中なんて 滅多にこれるものじゃないから…そのいろいろと回ってみたいんですけど…」
城の壮麗な造りに氣後れしているのか やや控え目に発言をする
「そう 別にいいんじゃない ここの城って意外と 来客に対しては解放的だから まぁそれも聖騎士達の 完全な警護に裏付けられているものだけどね うろうろしちゃいけない って言われたら戻ってくればいいわ」
「はい」
嬉しげな笑みを浮かべ ウォーラは小踊りした 早速とばかりに城を探索すべく廊下を駆け出す
軽く飛び跳ねるように走っている様子が ウォーラの喜びを表しているようだった サディはウォーラを見送ると部屋の中へ入った

それから数刻… ウォーラは城の中のさまざまな所を巡っていた そのどれもが彼女の好奇心を十分満足させうるものだった
さすが大陸一の文化水準を誇る ビクトラウト城と言うべきか もっともさすがにすべて見ることができたわけではなかった

七階の大扉は前に立っただけで 頭にものすごい激痛が襲ってきたし
四階などはあらゆるところを探しても 行く術が見つからなかったのだ
地下の倉庫宝物庫なども当然入れなかった

そして最後にウォーラは三階にある一般人用資料室にやってきた
一般人用資料室 と刻まれた銀の金属板を下げた木製の扉
そのノブに手をかけて開けた瞬間 不思議な雰囲氣の空氣が廊下に流れ出した
それは書物庫などの資料部屋にこもるあの独特な臭いと似ている

おそらくは資料保護のため 何らかの破魔法がかけられているのであろうが さすがにその雰囲氣まで完全になくすことは出来ないらしい
扉が開くと同時に ポウッ と天井に破魔法の明りがともった どうやら明り取り用の窓はないようだ
大きな部屋の中いくつかの破魔法の明りが 整然と並べられた書棚を遠くまで照らしてい


トコトコと書棚の間を歩きながらウォーラは棚を見て回った さすがに蔵書数もかなりのもので
妖精王国期の珍しい文献や 大陸の歴史を綴った冊子
当時の世界情勢を巧みに織り込んで書かれている地理誌
あるいは大陸の著名人の随筆 や 哲学書歴代の英雄達の伝記や詩に
妖精の伝説伝承 天空が神々の教義を示した聖典などが所狭しと並べられている
もっとも禁書として一般には公開されない書物 たとえば世界を滅ぼすものとされた
暗黒魔法 禁呪などを記した魔導書などはここにはないが 

これといって読みたいものがあったわけではなかったが
資料室の中を歩き回っているうちに ウォーラは一冊の興味ある書物を見つけた
まだ比較的新しいものらしく表紙や角がすれていない 黒表紙に金色の簡素で美しい模様が描かれているものだ

表題は“西大陸を駆け巡った英雄達”
返した裏表紙には著者の名前が小さく書かれていた
「リスティオス=ウェード…これリスティのことだわ」
その名前にウォーラは いやシリアには心当たりがあった かつて大陸革命と呼ばれた長い戦いを共にくぐり抜けてきた仲間の一人が破魔法師リスティだった
大陸革命が終結した後はみなそれぞれの道へと分かれたが リスティは同じ英雄プラタニティ=タナカ=ブレイハルトの建国した つまりこの国に宮廷破魔法師の一人として仕えていた この宮廷の中でウォーラもその姿を垣間見ている

書物を手にし部屋に数カ所ある閲覧卓の一つにやってきた 方卓には今ウォーラ以外の人の姿はない
椅子に腰掛けて早速書物のページをパラパラとめくってみた

“西大陸を駆け巡った英雄達”  大陸暦十四年 花の月の二十日にて

ブレイハルト神聖国 第七宮廷破魔法士 リスティオス=ウェード=フォン=メリカ 著

この文献を手にしている貴方に尋ねます
自分という存在は他人にとってどの様に見えるのかを考えたことがありませんか…
(途中中略)…つまり私は私なりのつたない学識で「英雄達」についての文献伝承そして
自分が見てきた「彼ら」について興味のある貴方達に私の研究の成果を見ていただきたく
文を記しました…


一級死霊魔導師 スダラ=レクレイム=リーゲン候爵
(大陸前歴 15?? 〜 5??)
古代皇圀期全般にわたってその名が残っている人物。とくに皇圀を打ち倒し「剣の時
代」の幕開けを先駆けた「革命王」のイメージが強い…彼は古代皇圀創立来の貴族にして
髪と瞳の色がエメラルドで大層美形だと言われているが、学問に没頭し過ぎで女性には興
味をしめさなかったといわれている、さらに武芸にも秀でていて当時「魔剣匠」とよばれ
ていた伝説の破魔法剣士「バルカッゼル翁」から「二代目魔剣聖」の称号を貰っている。
しかし俗説によると、本性はいいかげんで彼こそが古代皇圀の真の皇であったが、国を治
める権限を側近かつ恋人の女性に渡したという説や、伝説の様な偉業を成し遂げないで候
爵の位に甘んじながら、一介の学院の導師として、そのまま戦乱に巻き込まれて命を落と
したという説も文献には残っている

 輝日女伸  シリア=テルティース
(大陸前歴 57 〜 ) 大陸革命に功績を讃えた「シリアとその一味」の主導者的存在。
妖兔と呼ばれる我ら人間の兄弟分(この場合は姉妹という言葉が適切ではあるが)にあた
る種族で、彼女ら妖兔族の常識で考えると、まだ少女ながらも仲間を鼓舞し魔皇と戦い勝
利をおさめた力が我々の心を打つ…万民は彼女を「輝日女伸(いくさひめがみ)」と呼び、
今では彼女の通り名となっている。余談ではあるが、私は彼女と旅を供にしたことがあり、
当時の彼女を私は「おじょうちゃん」と呼んでいたことが、はるか昔の事のように想い始め
ている

 不死身の鳳  フェニックス=レジェンド
『大陸暦前歴 (??or? 〜 )』
「革命王」「輝神」と筆すれば、この方を記さないではならない。確かに前に記した彼らは
大いなる功績をこの地に刻んであるが、供に道を歩む友、偉業を成し遂げる兵力を持って
いたから可能だったという一部の偏見がささやかれているし、私も歴史の表舞台を歩んだ
からこそ、評価されていると思える
…大陸暦10年「巨傀島」にて「最北の父なる山」カハリ大火山に、その「父なる山」と
背丈を並べるほどの巨傀が現れ、「蒼色の港町」キコクを襲ったという事件があった。数時
間後、巨傀は破壊すべき大地を、存分に破壊し終えると、我々の住む大陸へ足を向けよう
としていた。その時、立ちはだかった者がいた。刃渡りが我々の身長の倍はあろう異形か
つ神秘的な形作りをした(賢人達の話ではそれは「自然界の還元」を表していたと、後
で解った)大剣を持ったまま、いきなり山の背丈あるほどの巨傀の頭上を飛び越し、その
大巨傀の頭から一刀の元、縦二つにし一息もつかず、天空へ消えていった。とその姿は絶
えず金色の光路を大地に注いでいたため、不明であるがその姿は空を制する 火の鳥 の
ようだったと…
余談ではあるが、その男の正体について私に思うところがあり、他の学友もその彼ではな
いかと意見が出たので、彼の所に尋ねていったが、瘤を一ついただけただけであった。故
に、私は新たなる英雄の誕生だと思っている

そして時は流れ夜がふけてゆく
それぞれの部屋へこもった彼らも この頃までにはさすがにたまっていた疲労のため 各々好き勝手な格好でベッドに体を投げ出していた
肉体はもちろんのこと 心も安らぎを欲してたのだ
そんな彼らに睡魔が 心地よいまどろみの世界へと誘いをかける それは戦いに疲れた戦士達のしばしの休息の時…
しかし 真の安息は 全てが終わったときにしか得られはしないものである そして 未だ彼らの戦いは終わりを向かえてはいない

夜半 何やら騒がしい人々の氣配を感じて アルジオスは目を覚ました
戦いの中に生きてきた彼は浅い眠りで疲れをとる術を身につけている それ故わずかな人の氣配でも眠りから覚めることができた

部屋を灯していた菜種油の燭台カンテラの明りは油が切れ もう消えていた暗闇の中で耳をすますと 外の廊下を何人もの人々が走って行く音が聞こえる
「何かあったのか…?」
一人暗闇の中で呟くとベッドから体を起こす
カルクレアー枢機卿に報告を終えた後すぐ休息をとったおかげで 目覚めた時にはすでに体の疲れはほとんど抜けていた
アルジオスは麻の短衣の服装のまま ベッドの横に立てかけてある 自分の友とも言える妖刀 翡翠爪だけを手にし扉を開けた

アルジオスの目の前をまた数人の騎士達が駆け抜けていく
「どうしたんだ 一体?」
さらに奥から走ってくる一人の騎士に事情を聞こうと呼び止めた
「それが このビクトラウトのかつての宮廷魔導士であった ドレイラ=フェルソリュー様がご到着なさったらしいのです」
「ドレイラ=フェルソリュー…? どっかで聞いたような名だな…」
アルジオスが自分の記憶の糸をたぐっている間に その騎士は走り去っていた

「アルジオス 何かあったの?」
別の部屋の扉が開いて サディが顔だけ出した
「いや よくはわからないが ドレイラという名のかつての宮廷魔導士が戻ってきたらしい」
「ドレイラですって?」
サディの顔に軽い驚きが浮かぶ そして
「…丁度 いいタイミングね これは」
と とっさに頭の中でひらめいたある考えによって その驚きの表情が次第に笑みへと変わり やにわにサディは部屋から駆け出した
「おい サディ待ってくれよ」
アルジオスの呼ぶ声も無視して サディは騎士たちを追って廊下を走る
わけがわからないまま アルジオスもつられるようにして走りだしていた
走っている間に 彼は先ほどから記憶に引っかかっている ドレイラという名を思い起こそうとしていた

ドレイラ ドレイラ宮廷魔導士…そうか!
魔王アホンダウラとの戦いに勝利した 大陸革命の英雄の一人が ドレイラという名の破魔法師だったはずだ
アルジオスが記憶の中からその名を見つけ出している間に その足は騎士たちやサディを追って 六階の謁見の間へと向かっていた
次第に謁見の間が近づくにつれて ざわめき声は大きくなっている 最後の角を曲がったアルジオスの目に部屋へ入っていく
サディの後ろ姿と戸口に集まって中の様子を見ている騎士たちの姿が映った

「お久しぶりです リチャード=ワイスマン候」
謁見の間に通された かつてのブレイハルト神聖国宮廷魔導士ドレイラ=フェルソリューは先ず 左手を胸の前にかざし 礼儀作法に従った挨拶を交わした
すでに寝室へとひき篭っており 玉座にはスザンナ王妃の姿はない
昼間玉座の右に控えていたカルクレアー枢機卿 左のハッソネール作戦参謀長官の姿もそこにはなく
代わりに別の人物が立っている

玉座の右に立つカルクレアーよりもさらに年を重ねた 壮年の男リャード=ワイスマン候は そのドレイラの様子を懐かしそうな眼差しで見つめた
「貴方も壮健そうでなによりですドレイラ 貴女がこの国から去ってもう数年…私もまた年を重ねてしまったようです」
たくわえた立派な顎髭を軽くなでながらリチャードが語る
「今は確か 天空浮遊都市のジャナセリア第二期妖精皇国に仕えているのでしたね」
「はいフェレア様やローラ=ドーロ公爵も 私のことをよく評価してくれています」
「そうですか…もう一度貴女には この城に戻ってきて欲しかったのですが どうやらそうはいかないようですね」
そう言ってリャードは笑みを浮かべる 優しく慈愛に満ちた笑みだった
ドレイラはふっと自分がこの城を去るときに リチャードがみせた笑みを思いだした
変わっていない…とそう感じた 流れた歳月はリチャードの姿を年という形で変化させていたが この笑みだけは年を経た今でもあの時とひとつも変わっていなかった

「それで今日は 何の用でこの城を訪ねたのですか?」
「ブレイハルト法王猊下が床にふせっているという噂を聞きましたが それは 本当なのでしょうか?」
ドレイラの問いにリチャードはわずかに表情を落とす
「ええ この奥の部屋で療養なさっています かなり衰弱なさっており国務もままならない状態ですから つい先日王宮全体の人事移動が行われました カルクレアー警護隊隊長は法王の国務の代理を行う枢機卿に ハッソネール政治顧問は今回の作戦参謀長官に そして私は作戦参謀副官に それぞれ抜擢されたのです」
「ご容態はかなり危険な状態なのですか?」
「病というよりは 日頃よりの過度な酷務による早期老衰のようですから もうそれほど長くは持たないかと…」
リチャードの辛そうな言葉は そのままドレイラの心にも重く響いた
仲間として幾つもの修羅場をくぐってきたがゆえに 聖騎士エリックを知るがゆえに 弱々しいその様子を思うと辛い
しかし妖兔として長い寿命を持つ彼女には 人間と関わってしまった以上
余りに早く余りに急激な相手の老いを 目の当たりにしなければならないことは避けられない運命と言えた

「エリック…」
奥へと続く扉に寂しげな視線を向けるドレイラの背後でサディが部屋へと入ってきた
「あ〜ら ドレイラ まだ 生きてたのね?」
妙に浮かれたその声で振り返ったドレイラに向かって サディが深朱の絨毯の上を足早に歩いてくる
先ほどまで眠っていたのか纏っているのは 実用性を一切無視した見た目の美しい夜間着の外套である

「それから…」
サディはドレイラの右手に持たれた 深紅色の大きな宝石を埋め込まれた杖に目をやる
『久しぶり ジアザード』
『元氣そうだな サディ ということは まだまだ 大陸は騒々しいと云うことか』
杖から低い男の声が返ってくる
妖精王国期に発達した付与破魔法の秘術によって 自らの霊魂を杖に封じ込めた暗黒魔法師ジアザードは 挨拶代わりに軽い皮肉を放った

『相変わらず 性格悪いね貴方も』
ジアザードは昔の都言葉である 妖精語で話しているが 意味がわかるサディは笑って妖精語できりかえした
そして再び ドレイラに顔を向ける
「ところでどうしたの こんな夜中にここを訪れたりして」
「いえ 少しばかり私用がありましてね」
「そう」
謁見の間に入ってきた時から 浮かべている微笑みを絶やさず サディはわずかに小首をかしげた

「で サディ 私に何か用でも?」
「その用事が終わってからでいいんだけど ちょっと 私につき合ってくれないかしら?」
明らかに何か頼みたいことがあるといわんばかりのその言葉を聞いてドレイラはふっと楽しげに微笑んだ
「それは 今の大陸の事情に関連することではないのですか? 太陽が昇らなくなったこの事件の…」
「何だ解かっていたの つまらないわね…」
ドレイラは拍子抜けするサディの後ろに 視線をあわせて声をかけた

「それで そちらの戦士が今の貴方の仲間ですか?」
サディの少し後 続いてアルジオスも謁見の間に入って来ていた
やや離れた位置で 二人の会話を黙って聞いていたアルジオスはドレイラの側へと寄る
「アルジオスだ 俺も貴方の噂は幾度か聞いたことがある 十八年前の大陸革命で あの魔王を倒した英雄の一人だとか」
再びドレイラは笑みを浮かべる
「あれは成るべくして成ったものです 私はただ それに微力ながら力を添えたまでのこ と それにあの戦いの主導者とも言える 真の功績者は別にいますから」
「 輝日女伸(いくさひめがみ)シリア=テルティース…」
アルジオスの声には 畏敬と羨望の念が入り交じった響きがあった
今やその名前は伝説化し大陸の(文字通り)誰もが知るところとなっている
特にアルジオスたち傭兵の間では 西大陸革命六大戦士の一人として名高い
永遠の金剛戦士 リューク=スーズや
流浪の暗黒剣匠 ハイネスト=マクベリーと並んで
無敵の輝日女神 シリア=テルティースは 数多くの傭兵の間で崇拝されている

しかし リューク=スーズやハイネスト=マクベリーの場合は 自分もいつかそのような歴史に名を残す戦士になりたいという願いで心にとどめられているのだが
シリア=テルティースの場合はどうも勝利の戦神の代わりに 純粋的に信仰されているらしい
おそらく彼女が天神(かみ)などでなく 実在のヒトであるということが 現実派の傭兵達に受け入れられる要因なのだろう
アルジオスもそれほどまで戦の女神のように言われている その当人にいつかは会ってみたいと思っていた

「そのことなんだけどね…」
噂をすれば影がさす サディがドレイラに教えようと口にしかけた時 謁見の間にもう一人の人物が入ってきた
「どうしたんですかぁ? みなさん」
とやや眠そうな声 熟睡していたのか まだ覚めきっていない 寝ぼけ眼をこすりながら 絨毯の上をこちらにやってくるのはウォーラである
「サディ この娘…」
ウォーラの顔を見 ドレイラが驚きの声をあげる
「似てるでしょう? だってこの娘シリア様の妹ですもの」
「妹!? この娘が…」
ドレイラは今度はまじまじとウォーラの顔を見つめた

あのシリアに妹がいたとは 今の今まで考えてもみなかった
しかし その印象はシリアとは真反対である
どことなくおっとりとしているようだし まったく迫力も感じられない
じいっと見つめられ ウォーラは戸惑いながら サディに救いを求めるような眼差しを向ける
「し 師匠…あの何か私変ですか?」

「師匠!?」
さらなる驚きに ドレイラの口からおおよそこの場にそぐわない すっとんきょうな声が発せられる
「サディ これはどういうことですか?」
疑問符を浮かべたドレイラの その顔が説明してくれと切実に訴えかけていた
「この娘 ウォーラが酒場でごろつき達にからまれているところへ 私たちが丁度居合わせたのよ で 助けを求めてウォーラが私の後ろに隠れて あとはそいつらと売り言葉に買い言葉…ふと氣付いてみると魔法がドカンでボン!それを見て暗黒魔法師になりたいっていう この娘が私に弟子入りさせてくれって頼んできたわけ」
「ウォーラ とか言いましたね」
ドレイラは真面目な表情でウォーラを見つめた

「長い一生をそう簡単に棒に振ることはありませんよ まともな暗黒魔法…まともな 暗黒魔法云々は今は別儀として まともな魔法師は他にたくさんいます 冷静になって もっと よく考えた方がいいと思いますけど」
「それ どーいう意味かしら?」
そらとぼけて問いかけるサディの横では アルジオスが声を殺して笑っている
「言葉通りですよ」
「私 決めたんです 助けてもらった時 師匠の強大な霊力を目の当たりにした時 この人に師事して魔法を習うんだと 今までただ何をするわけでもなく旅を続けていたけど 師匠に出会ったその時 はっきりと魔法師としてやっていく 自分の生き方を見つけたと感じました」

それでもなお 瞳を輝かせて決然と答えるウォーラに ドレイラは小さくため息をついた
「まぁ たで食う虫もすきずきと言いますし 私が貴方の考えについて これ以上とやかく言うわけにもいきませんね せいぜい 死なないように注意しなさい」
忠告ともいえる言葉をウォーラにあたえてから ドレイラは再び リチャードの方へと向き直った
「リチャード=ワイスマン候 私がこの城にやってきたのは 西大陸に太陽が昇らなくなった この一大事を解決するまでの間 フェレア様から休暇をいただき 調査をおこなっていくことと ひいては この後 サディ達に加わり 究明を進めていこうかと」
「成程…」
リチャードはわかったとばかりにうなづいた
「と これが私の用件です では サディ私も貴方の仲間に加えていただきましょうか」
ドレイラの笑みにサディも笑みだけで応じた

「ふわぁ…」
その時まだ眠り足らないのか ウォーラが ひときわ大きなあくびをもらした 
おもわず顔を見合わせる サディとドレイラ 
そして 小さな失笑をもらすと
「まっ 詳しいことは 明日にするわ」
「そうですね まだ眠りたそうな人もいることですから」
「ドレイラ 貴方のことはきちんとカルクレアー枢機卿に報告しておきましょう 貴方のための部屋も五階の一室に用意してありますからそこを使用しなさい」
「ありがとうございます ではまた明日の朝…」
リチャードの言葉にドレイラは礼を言うと 先に謁見の間の扉へと足を運んだ
アルジオスもその後で自分の部屋へと戻るため歩き出す

「ほらウォーラ 部屋に戻るわよ」
ぼーっと立ちながら この場でうとうととし始めたウォーラの手を引いてサディも謁見の間を後にした
「だけど…」
大扉をくぐって後 廊下を歩きながら サディはふと浮かんだ疑問を口にした
「こんな ウォーラまで氣付いたっていうのに どうしてランド=ローが来なかったのかしら…?」
暗殺者としての彼の五感は 傭兵のアルジオスと同じように常に死のつきまとう世に 自らをおいて極限まで研ぎ澄まされたものである
その ランド=ローがこの騒ぎを氣付かなかったなんて…
サディのその疑問は翌日 新たなる戦いの序曲を伴い明らかになるのだった

そこは何もない空間だった
変化のないどこまでも同じ単調な光景が続いている漠然とした世界
いや 正確に言えばその表現は適切ではない
まどろみの中をたゆたうかのように 空間自体が ゆるゆる と流動を繰り返しているのだ

決して同じ模様を見せない そのうねりの姿は 陶酔と不安を同時にかき立てるような奇妙な感じすら覚える
ランド=ローはなぜ自分が この不思議な空間に放り出されているのか理解できなかった

物質の一切存在しない周囲には ランド=ロー以外には何もなく誰もいない サディやアルジオスの姿もその氣配すら感じられなかった
注意をしていないと 時間の感覚はもとより 上下左右すらあやしくなってしまう
ランド=ローは現在自分の置かれている状況を把握するために とりあえず歩いてみた
しかしそれもすぐに無駄だとわかった

広い 広すぎるのだ
目印や目標が何一つないため 自分が歩いていても進んでいるのかわからない
次第に不安と焦燥にかられるランド=ロー
と 何か小さな黒い点がまどろむ空間に生じたのを見つけた
視界にそれを捕らえたランド=ローは じっとそれを凝視する
黒い点はほんの少しづづだが大きくなっているようだ
その点が近づいてくる人の姿であると 氣付いたのはそれがかなり大きくなってからだった

不思議な空間をさまよって感覚がおかしくなったのか 近づいてくる人物の姿を見ても ランド=ローは別に変だとは思わなかった
しかし 普通の世界で出会ったのなら そいつは十分に異様な存在であっただろう
褐色の肌に先端の尖った耳 褐狼狐の男である
そのくせ目算で計った背丈はランド=ローよりもかなり高い おそらく二米は越えているだろう
体格もがっしりとして人間の戦士であるアルジオスよりも筋肉を持っている
瞳の奥には危険な光を宿し 鋭い眼光を強烈な殺氣と共に放っている
口元には威厳を漂わせる髭をたくわえており 妖狼にはおよそ考えられない男だった

その男がランド=ローをじっと見据えて歩いて来ていた
二人の視線が交錯した瞬間 ランド=ローの背筋をすさまじいばかりの恐怖が走り抜けた
男の表面的な殺氣にだけではない それよりもむしろ 男の奥底に秘められた未知の部分にランド=ローは恐怖した 理屈ではなく本能が直感的に告げていた

「ランド=ロー…」
ランド=ローの眼前で男は立ち止まり 少し低めの太い声で口を開いた
なぜ自分の名を知っているのかとランド=ローが訝しむ前に 男はまるで軽い話しでもするかのように 感情の入っていない普通の口調で次の言葉をもらした
「おまえを殺す」
余りにさらりと言われた為 一瞬ランド=ローはその言葉の意味がわからなかった

「大陸の中央部に位置する 裂けた大地 で待っている 助っ人はいくら連れてきてもかまわん が 生きて帰る希望は捨てることだ もっとも来る来ないはおまえの自由だ まぁ おそらく逃げるということはありえまい…」
「何者だ 貴様」
ランド=ローの問いかけに 男は口元に不敵な笑みを浮かべる
刹那 その右手がすさまじい速さで突き出された
かわす間もなくランド=ローの胸板を手刀が深々と貫いた
正確に心臓を突き破り 背に抜けた指先から鮮血が溢れるように滴り落ちる

ゴフッ
一呼吸遅れてランド=ローの喉の奥から多量の鮮血がこみ上げてきた

「俺の名はラカンパネラ 魔王が念残の意志を継ぎて この大陸の覇王ならんとする者…」
突如 激痛がランド=ローの全身を駆け抜けた
手や足が幾つもの見えない力で ずたずたに引き裂かれるような感覚に襲われる
体の内から沸き起こる奇妙なしびれと 燃えるような熱さ…

【生命を司りし血の流れ
臙脂に潜みて 烈情を注ぎし 臙皇ギルフェーグ
汝が真の目覚めの時は来た
怒りの焔よ 血の支配を断ち切れ…】
次第に薄れゆくランド=ローの意識の隅で
男 ラカンパネラの不氣味な楽奏が何重にも響く
【…臙赫血騰爛!!】

ヴァウッ!
いたるところ毛細血管が破裂し ランド=ローの全身から沸騰した血液が奔流のように噴き出す
外氣に触れた途端に それは蒸発し ランド=ローは一瞬にして炎熱に包まれた
「ぐ…ぐわあっ…」
内部から沸騰した血流によって肉体 そして自我までが 急速に溶かされていくようだった…

「…うあああっっっ!!」
その余りの激痛で ランド=ローは目を覚ました
「はあっ はあっ…」
跳ね起きたベッドの上で 荒い息遣いを繰り返すランド=ロー
生々しい恐怖の体験に纏った 葛織の衫衣シャツは汗でぐっしゃりとなっていた

「『悪夢譜ナイトメア』なのか…?」
天井を見上げ呆然と呟く
「しかし何故 俺に…」
ランド=ローがベッドから立ち上がったのと ドアが叩かれたのは ほとんど同時だった
「ランド=ローさん起きていますか? もう朝ですけど」
扉の向こうから聞こえるのはウォーラの声だ
「ああ 今起きた所だ」
「師匠が早く 謁見の間に来いっていってますよ」
「わかった すぐ向かう」
ランド=ローは手早くいつもの服装に着替え 必要な支度を済ませると扉を開いた

そこに立って待っていたウォーラと共に 一つ上の階の謁見の間へと向かった歩いている間中 ランド=ローの頭の中は昨晩の悪夢のことで一杯だった
「ラカンパネラか…」
ふっと口をついて出た呟きに 前を行くウォーラが振り返った
「え? 今 何か言いましたか?」
「いや なんでもない」
ランド=ローはそれ以上何も言わなかった

「おそーいっ!!」
広間に入るなりサディの怒声が飛ぶ ランド=ローはわずかに首をすくめただけで 玉座へと歩み寄る

謁見の間にはすでに主要人物がほとんど揃っていた
玉座に腰掛けているスザンナ王妃を中心に
右にカルクレアー枢機卿
左にはハッソネール作戦参謀長官とリチャード作戦参謀副官
カルクレアーの少し後ろには
纏っている異様なほどの殺氣をひとつも押さえようとしないバルジェイ以下
レッカ=サンダーボルト
シュネテジル=ナイトレッド
レイカ=クインシィ
達が指揮する対外特別警護隊の面々や
財政幹事長官ヒメイトス=ハン=アケルフの姿も見え ブレイハルト神聖国の重鎮たち そうそうたる顔ぶれが集まっている
その前にはサディ アルジオス そして昨晩この城に到着したドレイラがいた

「申し訳ございません奥様」
ランド=ローは頭を下げ詫びる
「何やってたのランド=ロー 貴方が朝に遅れるなんて 太陽がなくても時間の感覚ぐらいは 体で覚えているでしょう? それともまだ疲れがたまっているの 昨夜もぐっすりと眠っていて起きてこなかったようだし」
「昨夜何かあったのですか?」
「彼女が夜半 城に到着したのよ」
そう言ってサディは ドレイラを目で示した
「ドレイラ=フェルソリュー 貴方も知っているでしょう 大陸革命の英雄の一人よ 私たちの力になってくれる為に来たんですって」
ドレイラは ランド=ローに軽く会釈をする

「初めてお目にかかりますランド=ロー 貴方のことは先程 サディに聞きました」
「今 カルクレアー枢機卿たちと これからどうするか相談していたの ブレイハルト神聖国自体はとりあえず ハルノア龍帝国の動向と アホンダウラ降魔神軍の動きを見るまでは 軍隊は動かさないんですって」
「…奥様 そのことなんですが…」
ランド=ローは昨夜の悪夢を話し始めた

「面白いじゃない 行ってやりましょう」
話が終るや否 場を支配していた沈黙を破る一言一同の視線が その科白を発した人物に集中する
サディだった 笑みを浮かべたその表情は喜色に満ちている
「奥様…」
「ラカンパネラとはいつか戦ってみたいと思っていたわ あの豪快な氣質 すさまじいばかりの迫力 そして 強大無比の破壊力を誇る 爆炎の暗黒魔法…」
呟く一言一言その語尾が震えている 恐怖 ではない 驕喜 に依りて
より強い者と戦えるということが サディには嬉しくてたまらなかった
自分の命を賭けなければならないほどの相手に出会った時 サディの負けん氣が首をもたげる
相手が挑発すればするほど サディのプライドは大いに刺激される
彼女もまた戦いを欲し その渦中に自らを投じる戦人だった
ラカンパネラもそうであるように

「 裂けた大地 だったわね ランド=ロー」
バサッと外套の裾を翻して 広間から出て行こうとするサディにランド=ローが無言で従う
(危険です 何も奥様がいくことはありません これは私の問題なのですから)
彼はそうは言わなかった
サディの性格を知っていたからだ
しかし口には出さなかったものの ランド=ローは死をとしてサディをまもる氣だった 彼の沈黙がなによりも雄弁にそう語っていた

「ちょっと待てよ サディ まさか 俺をおいていく氣じゃないだろうな 雇ったからには最後まで きちんと使ってくれるのが 義務ってものだろ?」
とアルジオスここに来たときから既に戦いに備えて板金鎧を身につけ 背には翡翠爪刀を負っている
「楽しみは出来るだけ独り占めしたいんだけど しょうがないわね 連れて行ってあげるわドレイラ 貴方はどうする?」
サディはドレイラをふっと見た
ランド=ローの話の間 彼女は一言も口を開かなかった が 表情は話が進むにつれて 次第に険しさを増していた

「もちろん行きますよ ラカンパネラもかつては私と同じように 第二期妖精皇国に仕えていた身 それなのに何故 国を離反したのか 彼自身の口から聞きたいですから」
ドレイラには珍しく やや感情的な口調だった
「で ウォーラ貴方はどうする?」
「師匠が行くなら当然 私もついて行きます」
問われるまでもなく ウォーラもその氣だった
「ま ラカンパネラの使うのも超一級の魔法使い 貴方の参考になるかどうかは別として見る価値はあると思うわ ただし 私たちから離れて見ているのよ 絶対に戦ったりしちゃ駄目 さもないと死ぬわよ」
コクリとうなづくウォーラ

「ところで サディ」
会話がひと区切りついた頃 ハッネールが口を開いた
「その 裂けた大地 には どうやって行くつもりなのかな?」
「それはもちろん『古式空間転移』で…」
当然のごとく答えるサディに ハッソネールはさらに質問を重ねる
「今までに訪れたことは?」
「…ない」
やや 困った顔でサディはランド=ローに顔を向ける
「ランド=ロー 貴方行ったことある?」
「いえ 残念ながら」
「ドレイラは?」
「 裂けた大地 の近くは通ったことがあるけれど もう昔のことだからあまりはっきりとは…それにもし可能だとしても 私一人で五人はちょっときついと思いますよ」

「うー…」
頭をかかえるサディ浮かれるあまり 簡単なことを忘れていたのだ
『古式空間転移』の魔法は自分が訪れたことのある場所で そこの光景を頭に鮮明に思い描なれば使えないということを
「どうしよう 飛翔 じゃ遠すぎる距離だし まして馬車じゃ もっと時間がかかってしまう…」
サディはあれこれと方法を頭に浮かべてはみるものの どれも使えるものではない これではラカンパネラと戦う以前の問題だ

「サディ 城の外へ行く ついてこい」
突如 カルクレアーがそう言って歩き始めた
「え なに? カルクレアーが 裂けた大地 まで連れて行ってくれるの?」
「ついてくればわかる」
何もいい案がない今 とりあえずここは黙ってついて行くしかない
カルクレアーに言われるまま サディ達は城の外へと向かった

ビクトラウト城には他国の侵略等に際して 対暗黒魔法防御の結界が張られているその中では あらゆる暗黒魔法が遮断され 効果をあらわさない
城の地下に眠る超破魔法の産物である 一振りの杖の霊力によってそれは維持されている
暗黒魔法を使うのなら先ず その結界の外へと出なければならないのだ カルクレアーは城門をくぐりその結界も越える

「ねえ どうするっていうのよ」
サディのその問いには答えず
カルクレアーはすっと自分の右手を上空にかざした
太陽が昇っていないとはいえ 朝にはかわりない 明け方の爽やかな微風が サディたちの髪を軽く揺らめかせている
かざした手で風が流れているのを感じ取ると その手をひらひらと動かし カルクレアーは低く楽奏を紡ぎ始めた
周囲の変化にいち早く氣付いたのはウォーラだった

「風が…動いてる」
ウォーラは辺りの精霊力の微妙な揺らぎを感じ取っていた
風の精霊力が揺らぎ始めているのだ それは次第に 他の精霊力よりも大きくなっている
均衡の崩れによって 風がこの場に具現化しようとしていた

『契りを交わせし異界の盟友 風を司りし精霊が王族 由霹の嵐 疾く我が求めの召喚に応じよ 封じられし階門を潜りて仮染かりそめの衣を纏いし汝 我が前にその姿を見せよ 』
カルクレアーの呪文の詠唱が終わると同時に 一陣の烈風が吹き抜けつむじを巻くと その姿を変化させる

上半身は長い髪をなびかせる 半ば透き通った青年の姿をし 下にいくにつれて透過度は増している
下半身より下は竜巻が巻いていて見ることが出来ない  風の高位精霊の 物質界での姿だった

『我に銘を与えたる 異界の友よ 私を呼んだか?』
表情はほとんど揺れず 青年が古妖精語で問いかける
『盟友 霹嵐王クラムよ 頼みがあるのだが ひとつ聞いてくれまいか』
カルクレアーは風の上位精霊に語りかけた 同じように古妖精語を使って会話をしている
『この者たちを大陸中央部の 裂けた大地 まで 主の強き風の翼に乗せ 運んでもらいたいのだが』

『承知した 盟約に従い その願い聞き届けよう』
そう言うとクラムの姿が再び薄れ 竜巻へと変化し始める
完全にその姿が消えると竜巻は氣流となり カルクレアーの横をすり抜けて 後ろへと流れた
それはサディ達を囲むようにして渦を巻く
『行け クラム』
カルクレアーの発した一言に その氣流は一度 膨張すると サディたち五人をおおい尽くした
刹那 強風が弾かれたように 四方八方へと吹き出す
カルクレアーはその風を受けても微動だにしなかった 髪だけがあおられて舞い上がる
風がおさまったときにはサディたちの姿はなかった

カルクレアーが一人 ぽつん とその場に残されるようにしてたたずんでいる
「やつらで あのラカンパネラに勝てると思うか? ジョー」
カルクレアーが遠くを見つめながら呟く
「なぜわざわざ俺にそんなことを聞く? わかりきっているだろうに そしてあんたも俺と同じ考えなんだろ」
カルクレアーの後ろにはいつの間にか バルジェイが立っていた
バルジェイはカルクレアーの横に並ぶと 同じように遠くの空へと視線を向ける
「ああ サディたちに勝てる見込みは ほとんどないと言っていいだろうな ラカンパネラ あの魔神のごとき強さに 立ち向かうにはまだまだやつらでは力不足だ」
カルクレアーの言葉に バルジェイはわずかに口元を歪める

「なら何故だ? 何故 おまえ自らが力を貸してまで あいつらを戦場へと送り込むのだ あのまま放っておけば 死に行かずにすんだものを」
「運命…」
カルクレアーの口から その言葉がふっと漏れる
バルジェイは 意外な表顔で横の男を見つめた
「あいつらなら ひょっとしたら 運命の歯車を狂わせることが 出来るんじゃないかと思ってな」

「運命か…そいつが 自分自身で切り開けるものならな…」
バルジェイは ふっと空の彼方を眺めた
カルクレアーもそのまま視線をずらさなかった
二人が眺めている方角には サディたちが向かっている ラカンパネラとの戦いの場 裂けた大地 があるはずだった

ブレイハルト神聖国から 裂けた大地 まで 馬で行けば直線距離で数十日の道程のはずだった しかしその大部分は山脈越えで実際はもっと日数がかかるはずである
その上 途中の山脈や高地レンデフの奥地には 凶暴な怪物が数多く生息しているという かなり危険な行程なのだ

風伯の氣流に巻かれてからわずか数分後 サディ達はビクトラウト城から 裂けた大地 へと移動していた
風の流れと同化して 音速に近い速度で空を駆け抜けたのだ
一瞬にして景色は後方へと流れ去り 意識に残る前に 次から 次へとめまぐるしく変化する
自分達の周囲を守る風の障壁と大氣とが衝突してたてる きしむような甲高い金属音だけが 五感で唯一感じとることが出来るものだった

突如 ふっ と速度が緩むと 周囲をおおっていた 風の障壁が解ける
それによって再び五感すべてを取り戻したサディ達は 状況を把握すべく周囲を見渡した
眼下に広がるのはどこまでも大地を割って走る巨大な裂け目 その底は暗く吸い込まれるように深い 暗黒の世界へ通じる闇の淵がこの現世に大きく口を開けていた
この場所こそが 裂けた大地 だった

風は失せたもののまだ風伯の精霊力が及んでいるらしく 五人は空中に留まったままだ
そして今 その色違いの十の瞳はすべて 裂けた大地 から少し離れた地上の一カ所へと注がれていた
 裂けた大地 の側に見える小さな森 その大きく開けたところに見える数十体の影
その後方には 二百匹は越えているだろう ありとあらゆる火狗が妖獣の群れの姿がずらっと居並んでいる
その数十の影の中央で不敵な笑みを浮かべ こちらを見上げている人物 サディはその顔に確かに見覚えがあった

「ラカンパネラ…」
尖った耳に褐色の肌人間以上にがっしりした体格
五十米以上離れているというのに 瞳に宿った殺氣がぴりぴりと感じ取れるほどだ
無造作に立っているのにもかかわらず すさまじいまでの殺氣と威圧感を放っている
ランド=ローも一目見ただけでこの男が 夢に出てきた闇妖狐だと確信した
そう 彼こそがラカンパネラであった

その隣にもう一人第二期妖精皇国で 煌将軍 と呼ばれていた 仮面の男 ラカンパネラの軍師ラバストーンがいた
その二人を囲むようにして広がる漆黒の羽織に 異形な形をした鬼の仮面をかぶった集団

「臙脂の妖獣団…」
ドレイラが低く呟く
それぞれの妖獣の個別の力はそれほどの脅威ではないが これだけの数が集まると 
いくらこの徒党パーティがずば抜けた実力を持っているとはいえ まともに戦ったのではさすがに分が悪い
上空に浮かんだまま動こうとしないサディ達を見て ラカンパネラは無言のまま 人差指で挑発する
サディは小さく笑うと短く呪文を詠み唱えた『古式落下制御』を使って すぅ と静かに降りていく

「あ おいサディ! あれだけの化物 わざわざ相手をするつもりなのか!」
慌ててかけられたアルジオスの言葉を無視して サディは大地へと降り立った
「心配ありませんよ アルジオス あの獣たちは手を出しはしません 実際に戦うのはあの漆黒の羽織の者何人かだけですから そういう男ですラカンパネラは」
同じように自分に『古式落下制御』をかけたドレイラが 降りざまにそう言う
ウォーラもぎこちない動作で 魔法を唱えて舞い降りた

「ラカンパネラか…かなり ヤバイ相手のようだな」
アルジオスは改めてサディ達と対峙するラカンパネラを見る アルジオスもランド=ローと同じ恐怖を ラカンパネラから受けていた
「しかし 今更逃げるわけにはいくまい おまえにも『古式落下制御』はかけた 行くぞアルジオス」
ランド=ローとアルジオスもサディの横に着地した
「ようこそ ランド=ロー 俺からの地獄への招待状は受け取ってくれたようだな それに対しては 称賛を表してやろう」
「…」
ラカンパネラが右手を掲げると それを合図に数十の影が一斉に後ろへ下がり その場には一人だけが残る

「安心しろ この者たちは手をださん まぁ戦うのはこの俺を含めて 三人だけで十分だがな」
「三人だけ?」
サディが意外そうな声をあげる
「こっちは四人よ ちょっとそっちの方が不利なんじゃない?」
「そうは思わんが…」
ラカンパネラの呟きに右後方にいる 黒外套が自分の仮面に手をかけてそれを外した 現れた顔を見てドレイラが眉をひそめた

「ロレドールス 貴方まで…」
「ラカンパネラの行動は 私の結果 ラカンパネラが戦えば 私も戦う」
続いて今まで無言を保っていた ラバストーンがぼそりと呟きを漏らした
「ラカン…貴方のテンションが下がりつつあるようです 早く戦った方がいいですな」
ラカンパネラはラバストーンに一瞥をくれただけで 表情はほとんど動かさなかった

「まあ 待て 戦う前に一人 ゲストを紹介しておかなければな」
「ゲスト?」
「おまえ達がジジイと呼んでいる人物だ」
ラカンパネラはその赤い羽織をバサッと翻す
その先にはかつてサディたちと旅を友に続けた 茶色の外套を纏った老人がいた
ラカンパネラの言葉に老人は低い笑いを漏らす
「…失礼じゃなわしには…」
突如その声が老人のそれから 若い青年のものへと変化する

「私には フラッシュ=バック という正式な名前があるのですよ そこの幻霧の都が執行者 ランド=ロー君 君の噂は 聞いたことがあるし 私も 盗賊結社の副長 として スペルマウスとの戦いに於ての情報を 君に吹き込んだこともあるのだよ」
青年の声でそう言い 土色のだぶたぶの外套に手をかけると それを一氣に脱ぎ去り宙へ放る
外套が地を落ちたとき 老人の姿はもうそこにはなかった
代わりに奇抜な紅と深緑の外套を纏った 青年らしい人物がたたずんでいた
蜥蜴の様な仮面をつけ素顔はわからないが 右手には目立つ黒く大きな宝石の指輪をしている

「運命とは常に天秤 風の調べと人の心は 氣まぐれかつ うつろぎやすし
私…いや私の主は しばし 闇に傾けよ と申されました」
優雅な口調で言うフラッシュ=バック 続けて ラカンパネラが言う
「さぁて つまらぬお膳立てはここまでだ いいかげん 嘩火を打ち上げようぜ」
それからさもつまらなさそうな表情をして 小さな声で一人ぼやく

「だが 悲しいかな すでに計画はラバスの頭の中にある 勝負はすでに見えているがな…つまらん まったくにもってつまらん」
最後の科白はいかにもと言わんばかりに ため息をついて声を大にして言い放った

プチ
「好き勝手ほざくんじゃねぇ!!能書たれてないでさっさとかかってこんかい!!」
怒鳴る女の声が 戦いの火ぶたを切って落とした

一斉に呪文の唱和が風に乗って流れる
さまざまな声の質が互いに異なった調べを口づさんでいた
時には高く
時には低く
そして
激しく
ゆるやかに
美しい調律だった しかし それはこれから起こるであろう 激闘への序奏曲
その僅かな時間を弾く吟詠も すぐに終わりを向かえようとしていた
重なり合う旋律の中で 若い男のテノールの声が 最後の調べを奏で始めた

『乙風を結び 束縛の網となりて 彼の動きを…』
もはや ランド=ローの楽奏の完成は間近だった
その時 蜥蜴の仮面が笑ったような氣がした
そして 信じられないことが起こった
ランド=ローよりも やや高いアルトの旋律が 流れるような速度で追い抜いていった
テンポは早いがそれは 決して不自然な調べではなかった

とき 衛霊 なみ 揺らす 運命の天秤 吾が手中に宿れ 
 彼冠乗り寄す 時の疾脚 天秤揺らす 指先に応じ その速度 疾く早めよ』

一瞬にしてフラッシュ=バックの楽奏が完成し その声聞の終わりと共に
高めのバスの旋律が急激にテンポアップした 次に完成したのはそのラバストーンの楽奏だった

『草木に宿りし魂を揺さぶる 美しき魅惑の 桃が精霊 ドライアード 達よ 汝の捕らえし相手こそ 我が眼前の彼らなり』
風が吹き抜けたのか周囲の木々がざわめいた
それから枝や幹に巻き付いた蔦が まるで意志を持ったかのように サディたちに一斉に襲いかかってきた

魔法の詠唱に入っていたランド=ロー
サディ
ドレイラはその動きに対処するのが遅れ
あっという間に蔦草に巻き付かれて動きを封じられてしまった
そして戦いを離れて傍観していた ウォーラにもその蔦草は襲いかかった

「『束縛蔓草』の楽奏…!」
慌てて逃れようとしたが ウォーラもそれに捕まってしまった
ラバストーンに狙いをつけ剣をかざし 間合いをつめるアルジオスにも草木の鞭はのびていた
アルジオスはそれに目を向けると 片手だけで翡翠爪を大きく薙払う刃がきらめいた途端 それらは切り捨てられ地に落ちていた
しかして それよりも多くの新たな蔦が さらにアルジオスへ襲いかかった
さすがにいくら切っても尽きることのない草の鞭に アルジオスも動きを封じられる
残された旋律は二つ力強いバスとソプラノが流れていた

『大地に眠りし英霊 烈震魁偉 ダグモビイト  我が呼びかけに応じて目覚めを向かえん
奥底に秘められた 怒涛が焔を持ちて この大地を驚愕せよ』
バスの楽奏の終了と共に サディを中心とした大地が横に揺れ始めた
次第に揺れは力強さを増していき それは激しい縦揺れへと変化した

「うわっ…!」
誰もが立っていられずに その場に倒れ込む
激しい縦揺れに数度となく大地にたたきつけられ 全身がばらばらになるような衝撃が走った
さらに呪文の追い打ちは続いた
ロレドールスの詠唱も完成した そのの突き出した手の平から 暗黒魔法の弾丸が四発まったく動きのとれないサディたちの 水月 みぞおち に向かって激突し思わず呻く

「く こんなもの…」
一方 ランド=ローは絡みついた蔦を引きちぎって脱出しようと試みるが
ラバストーンの霊力によって 蔦草は恐ろしいまでの強度を持っていた いくら力を込めてもきしみもしない
どうやら アルジオスやサディも同じ結果で その間にも体は激しく大地に叩きつけられ衝撃を増やしていた

フラッシュ=バックが再び新しい呪文を唱えるが 今度は別に何も変わった変化は起こらない
続けて蔓草の束縛から逃れようとしてあがく ランド=ロー サディ ドレイラ アルジオスの順に ラカンパネラの炎の洗礼が追い打ちをかける
真っ赤な炎の渦に巻かれ 衝撃のダメージを食らった
全身は 鋭い刃で切り刻まれるような激しい痛みで覆われる が

ふっ と炎が消えた後 ドレイラの体から力が抜けるように ふっ と崩れ落ちた
ランド=ローとサディも炎の嵐は耐えたものの 度重なる衝撃で次第に意識が遠のいていった
蔦草に縛られその動きを封じられたウォーラは 目の前の惨劇を歯がみしながら見ていることしか出来なかった
(この蔦さえどうにかなれば…)
悔しさに震えながらウォーラは心の中で 情けない自分に腹を立てていた
蔦さえ外れれば今直ぐ 変化 を解いて シリアとしての本当の力をふるってでも助けに行くことができる

しかし アルジオスたちでさえ出来なかったのに 自分の非力な筋力で この蔦を引きちぎることは不可能だった
こみ上げる腹立たしさと 情けなさ
そして 目の前の残酷な現実から逃れようと ウォーラは目を伏せた
とうとう アルジオスも衝撃に耐えきれず力つきた
ウォーラの閉じた瞼から一筋の涙が流れ落ちる

「貴方にも 運命の輪 を その目で見てもらう必要があります 我が主の意志を代弁者と致しまして…」
突然 間近で聞こえた男の声に ウォーラははっと顔を上げた
鬱蒼金の木野子 メタファンガス は 眠りの麻薬 深き森の精霊が輪舞 荒ぶる瞼を 手弱に撫でよ』
すっ と男の細く優雅な指先が眼前に突き出されたかと思うと ウォーラは急激な睡魔に襲われた あがらう術もなく頭が朦朧とし始める

「運命は常に天秤 歴史は天秤の揺れにほかならぬ
…ゆめゆめこのことをお忘れなきように 大陸の英雄殿…」

薄れゆく意識の片隅で ウォーラが最後に理解できたのは その言葉と不氣味に歪む 蜥蜴の仮面の笑み そして ウォーラは深い闇へと落ちて行った…


懐古の内に時は流れ続ける

運命は周期を巡り

歴史は奇変な道化師が手の内で

愚かなる過ちを繰り返す

しかし それでも人々は歩みを止めようとはしない

大陸に一片でも希望が残されている限りは

そう 英雄と言う希望がある限り…




>>次が章ゑ



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