第九節 「賢にして剣にして険 −中符−」

「師匠 大丈夫かな…」
与えられた部屋のベッドの端っこに ちょこん と腰掛け
ウォーラは天井をぼんやりと眺めながら 今日の事を思い起こしていた

元々 ソハナの町に来るのは師匠の提案だった その理由を 私ははっきりとは聞いていなかった
ただ 面白そうなヤツがいるの としか師匠はみんなに言わなかった

そして 町に来てみたら 町長さんからは野盗の退治を依頼され
会ってみれば町のド真中に 浮かれ宿とかいう建物を立てるような
いわゆる変な奴(と、アルジオスさんが言っていた)が首領をやっていたりする 何か陶酔ナルスィ系の人みたいだったし…

もしかしたら あの人が師匠の言っていた 面白そうなヤツ なのかな
でも アルジオスさんや ランド=ローさん そして 師匠までもあんなに簡単にいなされるなんて…
信じられない程 強かった あのセイバーっていう人

扇子一本で吹き飛ばされたアルジオス ワイヤーを蝶々結びされたランド=ロー
その攻撃をすべて跳ね返されたサディの姿が 次々とウォーラの脳裏をかすめる
それは一方的なまでの戦いだった 今でも思い出すだけで ウォーラは身体がすくむ思いだった

「大陸には もっともっと強い人がいるのね…」
感嘆ともとれる呟きを漏らしながらも やはり サディの様体が心配だった
意識を失ったのは ただの脳震盪だと言っていたし 身体の傷の方は 先ほど一通りの治療をしてくれていたセイバーが言うには命には別状がないから 一晩たてば元通りになるらしい
だがやはり ウォーラには氣がかりだった

「やっぱり ついていた方がよかったかなぁ…」
あの後 それぞれが与えられた部屋にこもって 疲れと傷ついた身体を休めていた現在 サディには看病にと何人かの女がついている
さっきまでウォーラもずっと一緒に看ていたかったのだが 夜も遅くなってきたのでセイバーに心配せずにもう休めと言われ 自分に与えられた部屋に戻ってきたのだ
とりあえず自分の部屋の奥には 風呂があったのを思いだし さっぱりしてから眠ろうと ちょうど湯浴みをしてきた所だった

「だけど 豪華すぎるのよね この部屋…」
思いだしたように呟き 改めてウォーラは自分に与えられた部屋を見回した
七 八米四方はあろうかと言う部屋の床には真っ赤な ふかふか の絨毯が敷かれており
天井には光の精霊が宿る明りを灯せる 波瑠造りの小さなシャンデリア 腰掛けているベッドの枕元には小型の なかなか趣味のいいデザインのランタンがほんのりと暖かな光を灯して飾られている
ベッド自体も立派な造りをしているが ウォーラ一人が寝るにしてはいささか横幅が大きすぎる

「どうもおちつかないなぁ……だいたい何でこんなにベッドが大きいのかしら」
一人ごねるとベッドへうつ伏せ どさっ と倒れ込む
「眠る氣にもなれない でも 別にする事もないし…あーあ 退屈」
しばらくシーツに顔を埋めたまま じっとしていたが やにわに身体を起こすと
「魔法の勉強でもしよっと」
と ベッドから降りると卓の上に置いた 自分の持ち物が詰め込んである 小袋を取りに向かった

小袋の中には古妖精語で記された 自分用の魔法書が入っている
もっとも ウォーラの持つその魔法書は 賢者の学院の生徒達が持つ破魔法書とは 幾分異なった特別なもので
厚さが通常の破魔法書の倍近くあり その後半部分にはサディによって 様々な古妖精破魔法及び暗黒魔法が新たに書き加えられている

それらは古代皇圀の滅亡により散在し古代破魔法のうち 今の時代まで賢者の学院でさえも復刻させられず
ごく一部の破魔法師達の間にだけ知られてる埋もれた魔法 世間では 遺失の黒魔法と称される類のものだった

そして 中には古えに禁忌とされた暗黒魔法までもが サディによって無造作に追記されている
それゆえウォーラの魔法書は 幾学院の高位導師級の破魔法書よりも はるかに優れ かつ 危険なものになっていた

もっとも ウォーラにはあまりに難しすぎて サディの記した後半の禁忌暗黒魔法のページの大部分は 何を言っているのか さっぱりわからないものばかりだった
しかし いつかは師匠のような 魔法師になることを夢みるウォーラは 暇な時にその自分の魔法書を開いては前半を勉強し 興味がてらに意味不明な後半を 流し読みしたりしているのである

ウォーラが袋から引っ張り出して 魔法書を手にした ちょうどその時 扉をノックする音が聞こえた

「誰だろ…」
夜も遅い訪問者にいぶかしみながらも 魔法書を卓に戻して 足を扉へと向ける
「何ですか?」
問いかけながら かけていた鍵を外して扉を押し開けた
「よう」
が扉の向こうに立っていた人物の顔を見て ウォーラは意外そうな表情を浮かべた
こんな時間に人を訪問する 世間で言えば非常識な行動を取るのは仲間の誰かだろうと思っていたのだが 違った
そこにいたのはセイバーだった 唖然とするウォーラの横を悠然と抜け部屋へ入ると セイバーはそのまま窓際を歩いていく

「あの…何の用ですか?」
突然の意外な人物の来訪に戸惑いながらも ウォーラが問いかける
開け放った鎧戸から流れ込んでくる 涼しい夜風を背に受けるようセイバーは優雅に振り返ると 後ろ手に回した両腕を軽く縁へとつき  窓を椅子がわりに身体をあずける

「決まっているだろ 約束通りおまえとのケリをつけに来たのさ」
「ええっ!? ケ ケリって言われても…」
その言葉にウォーラはうろたえた
そう言えば確か戦いの後に セイバーが自分に向かって「次はおまえとの勝負だな」とは言っていた
しかして 相手はアルジオス ランド=ロー サディでさえ 軽くあしらう程の化物である
一介の暗黒魔法師見習いがどうあがいたところで 話にもならないのは解りきっている

「わ 私なんか 勝負以前の問題だと思いますけど…」
「いや そんなことはないさ…結構 楽しめそうだ」
自分を見るセイバーの視線 ねっとり と絡みつく感覚を覚え ウォーラは本能的に それからかばうように自分の身体を抱きしめていた
風呂上がりにウォーラが纏っているガウンは 部屋に置いてあったものだった
セイバーの視線がガウンを盛り上げる胸に 折れそうなまでに細い腰にふっくらとしたヒップの曲線へ這い降りる 湯上がりにほんのりと上氣した肌が この無垢な少女にさえ誘うような 艶っぽさを匂わせている

ガウンの下の裸体さえ見透かすかの様な眼差しに ウォーラははっきりと生命の危険とは違う 別の危険を感じていた
「か 帰っ…」
帰ってください そう 口を開きかけた時
セイバーは ふと 視線を窓の外へと向けると空を見上げて呟いた

「今宵は上弦の月か…」
「え?」
だしぬけの科曰に ウォーラの表情が思わずほうける
暗雲が立ちこめてるのに 月が見えるのかしら…?
そんなどうでもいい疑問が ふと 浮かび わずかにウォーラの警戒心が緩んだ瞬間
再びウォーラへと視線を戻した セイバーの碧色の双瞳が妖しく底光りする

【黒き情欲の女神よ…】
美しき唇より流れるような旋律が紡ぎ出される ウォーラの僅かな心の緩みをついて セイバーは祈念を完成させた
そして 彼の碧瞳がぬめりを帯びた輝きさえ宿し始める

ドクン…

あの瞳を見ちゃいけない…本能がそう告げていた

しかし そんな意識さえ その瞳は捕らえ 飲み込んでしまう程に深く あらゆる抗いを許さなかった 否 抗うことすら忘れさせたのだった セイバーの瞳に ウォーラの意識は完全に絡め取られていた

ゾワッ…

心の奥でもたげる不思議な感覚 それは今までにウォーラが覚えたことのない感覚だった
何故だか身体が火照る
燃えるように焦がれ熱い
暗く深くよどんだ それでいて純粋な感情の胎動
それは誰の心の奥底にも眠る 生物としての本能
人が獣としての部分を残す 性への激しい情動

な 何…わたし違うわ…こんなの違うっ!!
捕らえられた意識内において ウォーラはセイバーを目の前にして突如として心に生じ始めた淫らな感情に沸き起こった 女としての欲望に懸命に抵抗していた

それが自分の感情であると 信じられなかった 信じたくなかった 自分がいままで一度も覚えたことのない 本能 そして 肉欲
少女としての意識は 懸命にそれを否定させた
激しい心の葛藤に 怯えるまでに震える処女の姿を セイバーは 楽しげに眺めているだけだった

が かろうじて ウォーラの心の内で 魔性の瞳が宿し放つ幾度も押し寄せる情欲のうねりに 乙女の羞恥が歯止めを掛け 必死で理性がそれを押さえつけ心から振り払おうとした

「何 何なのよぉ…今のはぁ…」
うなだれ 呟く声が震え 上げた視線がまともにセイバーとぶつかる
「解るだろう? 俺の目的が…」
諭す様な口調で語りかけるセイバーの瞳はじっとりとウォーラを その身体をねめつけていた

今 ウォーラは目の前の少年が心底恐ろしかった
悪魔に見入られたかのごとき 乙女の防衛反応が迷う事なくウォーラの足を戸口へと向かわせた

この少年から逃げなければ手の届かないところに…
さもなければ自分はこの悪魔に
その身体を 
心 を奪われる
とにかく この部屋から逃げなければ

が その望みははかなくも打ち砕かれた
振り返った瞬間 戸口にもたれて自分を見つめる碧の瞳が視界を支配した
一瞬でセイバーは窓際から 戸口へと移動していたのだった

「逃れる術はただ一つ 俺と戦って勝つことだ」
セイバーがゆったりとウォーラに向かって 一歩を踏み出す
「だ 誰か…」
後ずさり叫び声を上げようとしたウォーラよりも早く セイバーの口から精言霊が流れる

『氷王の許 眠りをもたらす 安らかな静氣よ 深き夢へと誘い みなに至福の時を与えよ』
動作無き求訴は しかし信じられないほどの効果を現していた
白く霧のような空氣が 浮かれ宿の建物すべてを包むように具現し
セイバーとウォーラを除く 全てのものを次々と眠りの世界へと誘っていった
浮かれ女達も セイバーの部下達も
そしてアルジオスやランド=ローでさえ 絶え難い睡魔の抱擁に 身を委ねて深き夢の世界へと堕ちていった

館で起きているのはこの二人だけだった
懸命に助けを求めるウォーラ しかし 反応するものは誰もいない
深い夢の世界へと陥ったみなには その声は届いていなかった 空しくウォーラの叫びだけが建物に響く

「皆疲れてるんだ 起こしては氣の毒だろ」
言いながらも魔性の男 また一歩近づいて来る
ウォーラは壁際に立てかけてあった自分の樫の木の杖をひったくると 威嚇の意味あいを込めそれをセイバーに向かって突きつける
「こ 来ないでよっ!」
それを見て楽しげな表情を浮かべるセイバー
「そうこなくてはな…」
その足取りは止まらない 一歩一歩ウォーラへと近づいて来る
明らかにウォーラの反応を 怯える少女の反応を楽しんでいるのだ

「来ないでったらぁ!」
ウォーラは必死になって 次々と自分の使える魔法をセイバーへと放った
創り出された霊力の矢が
呼び出された光の精霊が
闇の精霊が
心に雑念を招く精霊が
雷撃が
恐怖を呼び起こす精霊がセイバーへと襲いかかる

杖を行使して 魔法 黒魔法をどれこれ構わずにぶつける
しかし そのどれもがセイバーに 何の影響も与えなかった
魔法の威力が余りに貧弱すぎるのだった
所詮 魔法師見習いの魔法などセイバーに蚊ほども効くはずがなかった
楽しげな笑みを浮かべたまま歩を踏み出すセイバーが近づいた分だけ ウォーラは後ろに下がる

「来ないでぇ!」
涙を流しながら それでも魔法を 黒魔法を無我夢中 手あたり次第に放っていく
ザシュウッ
と中に混じって いきなり巨大な霊力を秘めた嵐王精霊が無意識のウォーラから放たれ セイバーの右腕を切断しかねない程の深い裂傷を与えた
が 次の瞬間には しゅうしゅう と音を立て 傷の部分は細胞再生を起こし それすら完全に癒してしまった

何発か魔法を打ち込んだ後うっすら と目を開けてみるが まったく変わらないセイバーの姿を見るや 再び必死になって呪文を連続してぶつける
しかし 悲しいかなウォーラに扱える程度の魔法と その威力ではセイバーにはまったく ダメージにはならないのだった
ウォーラも十分それを知っていた しかし 魔法を放つしかなかった

痛くも痒くもない呪文の雨の中 セイバーは歩みながらもその視線をウォーラへ その心へと向ける
そしてすべてを悟った
「なるほどな 問題は…」

どごぉん!!
またもや無意識にウォーラの手の平から放たれた今度は雷帝が烈光の精言霊が モロにセイバーの顔面に命中した
「心の弱さだな… …っていってぇ!! 今のは痛てぇ!!」
顔が砕けるのではないかという程の痛みにセイバーはうめきあげ 思わずうずくまる
しかし その傷と痛みもすぐに再生が始まり ほどなく元へと戻った後 何事もなかったかのように立ち上がると 再び呪文の雨の中を歩み始める

ドンッ
背に触れた硬い感触に ビクッと身体を震わせ ウォーラは瞳を見開くと 弾かれたように後ろを振り返った
壁際へ追いつめられ すでに後がなくなっていた
「どうした もう終わりか?」
すぐ耳元で聞こえた声に なおも魔法を放とうと振り向きざまに杖を動かすが
セイバーの手が その動きを封じるように素早く手首を掴む

「あっ」
そのショックで ウォーラは 手にしていた杖を取り落としてしまった
慌てて拾おうと伸ばす 反対の腕の動きも許さず セイバーはその逆の手首も掴むと ウォーラの両腕をそのまま荒々しく壁へと押し付けた
その妖しい碧色の魔眼に 正面から射られ ウォーラはもうどうすることもできなかった

かろうじて意識はあるものの すでに身体と感覚は遊離している状態に近かった
それはセイバーの瞳の持つ霊力だったのかもしれない あるいはあまりの混乱に 少女の思考が現実について行けなかったのかもしれない
いずれにせよウォーラは セイバーの手のうちに捕らえられていた ただ おびえ震えることしか許されずに

「まだ 抵抗する氣ならしてもいいんだぜ ただし おまえの精氣が持つのならな」
手を離しつつ セイバーが言うその言葉にウォーラの表情が揺れた
確かに夢中になって呪文を使いすぎ かなり精氣を消耗していた これ以上無理に呪文を放とうとすれば 氣を失いかねない
もし そうなれば間違いなくセイバーは…

その言葉で完全に抗う様子の失せたウォーラを見てセイバーは軽く笑う
「いい子だ 俺としても 意識のある方が楽しいんでね」
「ひっ!」
瞳に涙を溜めおびえた眼差しを向けるウォーラの身体を軽々と抱え上げベッドへと運ぶと その上へ軽く放り投げる

「そんなに怖がるなよ すぐに死ぬほど氣持ちがよくなるさ小兔ちゃん」
それでもなお逃げようとする意識の現れか ベッドの一番すみっこで ちぢこまって震える少女に
セイバーはやさしく魅惑的な声で呟くと自分もベッドの上に乗り ウォーラへのしかかるようにその手を伸ばす
その滑らかな指が顎にかけられ ウォーラのその顔を軽く上向かせる

「…いやぁっ!」
氣の消耗にも限界が近いのか すでに頭の隅は朦朧としている
それでも恐怖に堪えきれずに ウォーラはセイバーへ向かって 呪文を唱え始めた
効かないと わかってはいるが それでもこのまま抵抗しないで 抱かれるのは嫌だった
「諦めが悪いな……こんな呪文なんか…」

その時 ウォーラの顔をいとおしげに見つめるセイバーの意識と視界が弾けた
再度 自分を襲った不思議な感覚
サディとの戦いの際止めに入った あの時のウォーラに見た
時空 と 意識 とのクロス=デジャヴ

さっきの感覚と同じだ---
これは… そしてセイバーの意識に投影されるときの情景

「はぁ!?」

それは自分が怒りに顔を紅潮させた目の前の妖兔の少女に その何倍もの大きさの巨大な金鎚のようなもので
ぶっ飛ばされる姿だった

「な なんだこの光景は!!」
この俺が こんな無防備に他人にどつかれるだと!? 
しかもたかが妖兔の女にか!? 
目の前でおびえているこの妖兔の女が俺を…? 
こんなフザケたことありえねぇ!!

さすがにその光景には セイバーをもってして動揺するに値した
自分の強さに絶対的な自尊を持つがゆえに その心への衝撃は大きかった
そしてその氣の乱れは 普段の止水のごときその心へ 大きな波紋を生じさせたのだった
瞼が異常に重くなったことに氣が付いた時には すでに遅かった
ウォーラの放っていた 眠りが森の言精霊は激しい心の動揺の隙に
見事セイバーの心へと宿り その意識を安らかな暗い淵へと誘い落としていく

「そんな……まさか俺がこんな力に…」
全身を急速に脱力感が襲う
薄れゆく意識霞むその視界の中で セイバーはウォーラの姿を見ていた
生まれて初めて自分を負かした相手を

なぜだか 妙におかしかった
結局それは屈強の戦士でもなく 強大な霊力を持つ魔法師でもなかったのだ
ただの妖兔の少女 その力は半人前で 魔法もろくに扱えない魔法師の見習い
少なくともセイバーが食らった 眠りの言精霊はそうだった

それはわかっている
そしてその敗北が 単純に自分の油断であることも わかっていた
要するに自らの驕りが招いた結果だ
しかし 暗黒に沈む意識の最後のかけらは あのヴィジョンのことを反復していた

俺が この女にぶっ飛ばされるか…
…フッ もしかしたら案外そうなるかもな…
ふと セイバーは自分の中に生じた その感情に氣付き 苦笑せざるをえなかった

しかし それが表情へと現れる前に セイバーの意識は完全な暗闇へと沈んでいた
その最後の視界に涙を浮かべた
その瞳を固く閉じ小さく縮こめた身体を 
哀れな程に 震わせている少女の姿を焼付けながら…

ドサッ

「あっ…」
その刺激に緊張の張りつめていたウォーラの身体は反射的に ビクン と反応する 自分の胸に重い何かがのしかかってきたのだった
恐ろし過ぎて目はひらけなかった
無意識に身体を固くするが もう抵抗することは諦めていた

もう駄目…どうしようもない…
しかし いつまでたっても セイバーはそれ以上のことをしてこなかった
「…?」
いぶかしく思い それでも恐る恐る目を開ける
ウォーラの上に倒れ込む様にして セイバーは眠っていた

「…ま 魔法が効いた…?」
しばらく惚けた表情で 自分の胸に顔を埋める様にして安らかな寝息をたてているセイバーの姿を眺める
その寝顔には あの傲慢さは微塵も覗えず まるで純真な子供の様だった
目の前のセイバーの姿と 自分の放った眠りの破魔法が 見事にかかったことが頭の中で結び付いたのは しばらくの時を経た後だった

「た…助かったぁ…」
自分が助かったことを理解すると同時に 緊張の糸の切れたウォーラの全身から どっ と力が抜けると
ようやくまともな思考を取り戻した
ウォーラは自分の胸に セイバーの顔が埋められた状態を 意識 し 途端 頬を朱に染める

「きゃあ」
慌ててセイバーの身体を引き離し ベッドの反対側へと押し退ける
そして 改めてセイバーの姿へと目を向ける
「でも まさかわたしのとこに 夜這いに来るなんて…」
自然 ほんのりと頬が紅くなる

「とりあえず このままわたしの部屋に放っておく訳にはいかないし…」
少し思案した後 ウォーラは 眠りに落ちたセイバーの身体を脇に手を差入れて懸命に引きずり 部屋の外へと運びだした
ウォーラのかけた眠りの言精霊は『古式強制解除』の破魔法でなければ 永遠に眠りから覚めないというものである
(しかして『還』楽奏も この場合は得策でない)

きちんと 眠りが森の精霊力が働いているのも確かめたしそれゆえ動かしたりしても セイバーが目覚める心配はなかった
しかし運び出すとは言っても 非力な妖兔の少女の筋力では セイバーを抱えるには完全に無理があり
こうして引きずるだけでさえ かなりの重労働を強いられた

「風邪をひくこともないだろうし 明日の朝にでも師匠かランド=ローさんに 解いてもらえばいいわね」
ランタンの灯のともった廊下の絨毯の上を どこか適当な所においてこようと
セイバーを引きずっていたウォーラは ふと 十数歩廊下の向こうに 人影があることに氣が付いた

上等のきらびやかな夜装衣イブニングドレスを纏った女性
二十代後半の少々雰囲氣はきつめながらも 氣品を兼ね備えたなかなかに美しい容貌をしている 少なくともこんな宿にいるべき人物には見えない
否 そもそもこの宿にいる者は皆 セイバーとウォーラを除いて 眠っているはずではなかったのか??

ウォーラはセイバーから手を離すと その女性へと注意を向ける
女性は優雅な足取りで こちらに近づいてくると ウォーラの前にまでやって来た

「あ あの・・・貴方は?」
「こいつの管理者です どうもこの馬鹿がお世話になりまして」
無造作にセイバーの襟首を掴むと ウォーラに向かってお辞儀をする
「五百九十六勝一敗か 初めての敗北を味わったようね」
幸せそうな寝顔でくーくーと眠るセイバーに視線を落とし 女性は笑みを浮かべる
それが嘲りの笑みだったのか 慈愛の笑みだったのか ウォーラには区別出来なかった
「貴方 お名前は?」
「ウォーラですけど」
「ではウォーラさん この馬鹿 これからもきっと 色々と迷惑をかけるかもしれませんけど 今後ともよろしくお願いします」
「え…あ…はあ」
再びお辞儀をすると 女性はセイバーの襟首を掴んだまま ずりずり と荷物でも引きずる様にして歩き去っていく
絨毯が敷いてあるとはいえ あれではすり傷だらけになるのではないかと ウォーラが思わずにはいられない程 女性のセイバーへの扱いは粗雑だった
それにあの先は…

「あの! その先は階段…!」
が 別に女性は氣にした風もなく そのままセイバーを引きずって降りていく
ガダン!ゴギッ!
ドガッ!
ガダン! ドッ!
ガダガダッ!!

「あわわわ…」
とてつもなく痛そうな打撲の音に ウォーラは他人事ながら身のすくむ思いだった
急いで自分の部屋へと戻ると 扉を締めその音を遮った
しかし 明日のセイバーの姿が心配になるほど豪快に派手な音だった
そして 完全に音が消えたのを 扉の向こうからを確認すると 何故だか安堵のため息がもれた

「はぁ…勉強する氣分も消えちゃったし もう寝よ」
机の上に出しっぱなしだった 魔法書を袋の中へとしまうと壁際に転がる樫の木の杖にも氣が付いた
杖を手に取る時 ウォーラの動きが一瞬止まった
杖を見て先ほどのことが一瞬 脳裏に蘇ってきたのだった
思い出すだけで恥ずかしさがこみ上げてくる

「もっと 修行をつまなくっちゃ!」
何故だか 顔が火照っているのが自分でもわかった
よくわからない自分自身の反応に 多少疑問を抱きながらも杖を置いていた場所に再び立てかけて ベッドへと横になる
教えられていた合言葉を唱え 部屋のシャンデリアの明りを消し 続いて枕元のランタンの油を止めると 部屋は闇に包まれた
シーツにくるまり ウォーラは天井を見上げた

「セイバー か…」
と ぽつり その名を口にしてみる
あまりに衝撃的な出来事に まだ ウォーラの心は完全には落ち着いていなかった
恥じらい
動揺
焦り
いろいろな感情が 自分の中でぐるぐると渦巻いているのが 自分でもはっきりわかった
しかし 同時にそれらとは 別の感情も芽生え始めていた それが何であるかに ウォーラ自身がはっきりと氣付くのは もう少し時が必要だった

「寝よ寝よ」
バサッ とシーツを頭から被ると ウォーラは目を閉じた
理由も解らず妙にときめいている その心の 変化 に戸惑いながらも
ウォーラはそれらを忘れるかのように 自分にも訪れ始めた 心地よい睡魔へとその意識を委ねていった


朝---- にもかかわらず相変わらず周囲は暗い

まだ時刻の上では早い為か いつも通り女達が起きて来るには間がある
しかし 宿の一階は昨日とは異なり ざわざわとした雰囲氣に包まれていた

野盗の男達が鎧を着込み それぞれが武器を手にして大きな声を飛ばし つつせわしく動き回っている
しかも みながみな纏った鎧は純白であり 手にした剣も刀身がかなり白みを帯び まるで聖騎士ばりの出で立ちである
階下のざわめきで目の覚めたサディが 二階の自室から降りてきたのはそんな最中だった

「あんたたち 何やってんの?」
サディの第一声はそれであった
どうやら傷や疲れが昨晩ぐっすりと眠った事により回復したのと一緒に セイバーに対する怒りも さっぱ り消え去った様だ
普段と変わらない様子で 男達へと興味ありげに問いかける

「ああ 戦いだ ついさっきアウトサイドに アホンダウラ降魔神軍とか言う集団が出現し あっという間に ゴーシュ ペルソネ ルバラドを落としたらしい で そいつらが どうやらこっちに向かっているという事だ」
「降魔神軍? てことは魔皇がもう復活したの?」
今から十八年前現在の暦である大陸暦元年に この世界に強大な力を持っていたアホンダウラ魔皇圀率いる 降魔神軍との戦い
 その首魁たる魔皇アルンザード=パピシャス 後の アホンダウラ を打ち倒した 大陸革命と呼ばれる戦いは未だ人々の記憶に新しく 英雄譚として語り継がれている

「さあ トップが魔皇本人かどうかは未確認だが どうやらかなりの勢力には違いない 出現の報告とペルソネ陥落の報告にほとんど差がなかった これからそいつらを見に行く所だ」
それだけ言うと男は 他の男達に続くように外へと駆け出た 外でも男達の声に混じって 何頭もの馬の低いいななきや 蹄の音がしている

「アホンダウラか…また その名前を聞くとはな」
卓について皆が起きて来るのを 待とうとしたサディの耳に 憮然としたアルジオスの言葉が聞こえた
連れだってアルジオスとランド=ローが階段を降りて来る所で サディ同様 二人ともすでにいつもの装備である
その口調からすると サディの方は昨日の事はさっぱり忘れたようだが どうやらアルジオスの方がプライドを深く傷つけられたのかだいぶ根に持っているらしい
一晩たったというのに それを裏付けるかの様に いまだ幾分 不機嫌そうな仏頂面が浮かんでいる

「あら 御機嫌斜めってところね」
「そりゃ あれだけ馬鹿にされればな」
サディに背を向ける格好で 椅子ではなく卓に腰掛けると大きく肩をすくめた
「初めてだぜ あんなに呆気なくあしらわれたのも 侮辱されたのも…あんたは 悔しくなかったのか?」
「別に もう過ぎたことだから」
首だけ振り返って頬杖をついている サディの顔を少し呆れ顔で見つめる
「…あんたの考えって ほんっとわかんねぇな ちょっと馬鹿にされただけでキレたと思うと 今日は まったく氣にもかけていない 超氣分屋って言うか 性格に統一性がないって言うか…」
「ま 別にどうでもいいじゃない それよりさっきの話」
「ああ 聞いた 大陸革命でアホンダウラが倒された後 てっきり魔の軍勢は 完全に崩壊したと思っていたが…」
「まあ アホンダウラがいるんだから また 軍勢を集めたんじゃないの」
「いるっ て生きてるのか!?」
「ええ だって 私 会ったことあるもの」
「あ 会ったことがあるってあんた…」
真顔でとんでもない科曰を言うサディに アルジオスは二の句がつげなかった
「魔皇にまつわる伝承に 次の様なものがある」
そう言ったのは 椅子にもつかずに立ったままのランド=ローだった

心は感情を司る あらゆるものの出発点 奥深き森の迷宮に

血液は命の根元を司る 怒りを鎮める供物 大いなる者の下に

脳は霊氣を司る 極めて神聖なるもの 人知れなき西の孤島に

髪は人の偉大なる生命力を司る 魂の象徴 未知の事柄を知る扉に

耳は富を司り 目は輝きを司る 欲深き金の亡者を誘う道具に

手は力を司り 強さを司る 限界を知らずなお力をもとめる愚者を糧に

足は己の支えを意味し 謙虚を司る 奥深き地のはての柱とならんために

軸となるはこの七つ 他は石になり 砂塵になる 必もなき

汝 この七つ一人の力で解きしとき もう一つの詩ができあがる
この世を破滅に導いた もっとも愚か者の…

「魔皇裂封の伝承でしょ 太古の昔 古妖精文明を滅ぼした張本人とされる 泰魔皇 アホンダウラ=ドゥイクス その力は絶大なものだったって そして 大陸革命の時のアホンダウラは そのかけらの一つにすぎなかった…」
「…」
「まぁ でもそうなると 今回のこの暗雲はやっぱ そいつらの仕業って 可能性が高いわね」
とサディは嘯けば ランド=ローは沈黙しつつ 高い天井を見上げふと考え込む
「どうされる おつもりで」
「そうねえ フィクス は暗雲の原因を調べてこいって 言ってた氣がするけど…」
「確かに おっしゃっておりました」
「やっぱり そのアホンダウラ降魔神軍って名乗る連中がやったのかどうか 確かめなきゃいけないでしょう 興味もあるしついて行ってみましょうか」
そのサディの詞で 今後の一党の行動は決定した




>>次が章ゑ



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